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2006年11月 1日 (水)

霜月雑感

伊勢屋主人です。

本日より、霜月 十一月。
はやいもので、今年も残すところあと2ヶ月です。
何事においてもペースがスローな私は、あと2ヶ月で今年の仕残し仕事を片付けねば、と焦りをおぼえながらの毎日を過ごしております。

ところで、今年は暖冬になるのでしょうか。
昨日の記事で、「かなり冷え込んだ」と言っておきながら恐縮なのですけれども、本日はぽかぽかと暖かな一日の三重県中部でした。
実際、窓を閉めきっておいては暑過ぎるので、日中は全開にしておいて、それでちょうど良いといった具合なのですよ。

11月になったというのに、まだ長袖ながらもシャツ一枚で過ごせる毎日です。
割合と寒がりな私(暑がりでもありますが - 笑)は、いつもですとそろそろコットンのパーカーやトレーナーを重ね着している頃なのですが。。。
それにもうひとつ、先月の23日の日記で、小俣町湯田のコスモスの様子をお伝えしましたが、1週間以上経ったいま、こちらもまだコスモスの花が満開の状態です。
コスモスって、そんなに長く花が保つのでしたっけ???

少し、例年にない雰囲気を感じている、今年の秋です。

どうも、異常気象という言葉が、最近は「異常」に思えないほど、頻繁かつ気軽に使われるようになっているように感じます。
このような状態が続くと、感覚が慣れてしまい、いずれは「異常」が「正常」になってしまうのではないか、と一抹の恐れが、私の中にはあります。
この「異常」が「正常」にすり替るという現象、なさそうで実はかなり頻繁にあることなのですね。
それは、人と人との付き合い方や距離の取り方においても同じで、異常な「いじめ」が常態化すると、それは「正常」になってしまいます。

大人も子供も、いま正常と感じていることが「異常」でないかを冷静な目で確認し続けるということは、どの時代であっても必要なのですが、それには正常を示す「ものさし」の存在が欠かせません。

では、いまどんな「ものさし」を、わたしたちは持っているのか。
どうも、これがいまの時代に欠けているものの最たるものではないか、と思えてなりません。
そのようなことを考えていると、暖かな今日の霜月の入りも、なにやら薄ら寒さをおぼえてきてしまいました。

06shibu02

暖かな今年の秋は、柿の色づきも、少し遅いようです。
三重県中部の玉城町や度会(わたらい)町には、特産の次郎柿の畑が広がっていますが、実の熟し具合はもう一歩、といったように見えました。

その中で、渋柿と思しき柿の木のみが、程よい色づきの実をたわわに付けていましたよ。
なにやら、これも示唆するものがあるような、ないような、と思い惑う私でした。

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