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2006年6月29日 (木)

エンターテインメントとしての日本酒 ~ 清水醸造(株)訪問記 - その四

伊勢屋主人です。

今回は、鈴鹿の清水醸造さんの訪問レポートの最終回です。
酒蔵を見学したのち、清水醸造(株) 代表取締役の清水慎一郎さんとのお話をお伝えします。

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無茶な質問を承知でお聞きするのですが、清水醸造さんの「酒造り」とはどのようなところを狙っていらっしゃるのでしょうか。

「それは、難しい(笑)
酒って、嗜好品ですよね。だから、飲まれる方の味覚によって、評価は千差万別になります。最大公約数的な評価はありますが、絶対評価になると、全てが一致することなどない、と思うんです。つまり、全ての飲み手にうまい! と言ってもらえる酒って、ないんです。
多くの飲み手にうまい、と評価されるお酒は、カドの取れた平均的な酒でしょうね。平均的なんですが、平均点が高いからうまいと評価される。でも、これは当社で作りたい酒ではないのです」

カドのあるお酒を作られている、ということですか?

「カドと言うとイメージが悪いですが、平均的な優等生ではなく、もっとダイナミックで野生的な力を持っていて、飲み手の感性に訴える酒、というのが作りたい酒ですね。
そういう酒は、何かしら飲み手に感動を届けることができる、と思っているんです。心が動くから、うまいと言っていただける。
でも、心の動き方は飲み手それぞれで違います。だから、私は酒造りはエンターテインメントだ、と言うんですよ」

どうやら、その言葉の意味は、感動を与えるから、というだけではなさそうですね。

「もちろん、エンターテインメントですから、感動や楽しみ、安らぎもお届けします。それと同時に、酒のどこに良さや美味さを感じるか。これも千差万別です。飲み手ひとりひとりで、酒があちこちに見せる一瞬の味わいに対する、感性への反射角が違うんですね。
香りに感動するか、旨味の豊かさに感動するか、喉越しの味わいか。誰もが、自身の基準を持たれていて、それをもとに評価評論でき、和気あいあいとさらに会話が弾む。その様子って、ショービジネスの持つ効果と同じように思えるんですよ」

なるほど。おもしろい考えですね。確かに、そういう面はあると思います。

「そういう酒であって欲しいから、成分分析の数字が味の全てにはならない、と考えているんです。
味わいは、数値にはなりません。また数値にこだわって、その数値をよくしようとした挙句に、平均点は高いけど面白味の低い酒になったら、意味がありません。
数値はでこぼこでも、我々が考える好ましい酒のラインに乗っていて、かつ味わいの調和が取れていれば、それは清水が造る美味い酒なんです」

でこぼこ具合が、清水醸造さんの主張なのですね。そして、そのでこぼこに飲み手の感性の光が反射して、評価されていく、と。
確かに、主張のない製品には競争力はありません。特に嗜好品の分野では、なおさらですね。
ところで私は常々思っているのですが、これからの日本酒は、日本酒同士で競争していても意味ないのではないか、と。
もっとグローバルな競争をすべきだし、その資質も充分にあると思うんです。例えば、白ワインと対等に競争できる、というところを目指して欲しいな、というのが希望ですね。

「それは、よくわかります。種類は違っても酒なのですから、ジャンルの枠を超えて楽しんでいただきたいですね。日本酒、ワイン、ウィスキーという風に縦割り構造で考える必要は、まったくないです。気分や料理で、いろいろと自由な発想で楽しんでいただきたいし、こちらもそのように考えていきたいと思っています。
そして、そういった環境になっても、日本酒は味や旨味、香りで競争できると思います。
それらの点もあるので、当社では香りの要素も大事に考えているんです」

それで、納得できました。さきほどいただきました『鈴鹿川』は、香りがスウィートで飲み口もとてもフルーティーでした。あえて、スウィートとかフルーティーという、日本酒っぽくない形容詞を使いたくなったんです。

「私達の目論見も、かたちになってきていますね(笑)」

まったくもって(笑) グローバルな市場で、ぜひ競争していただきたい、と思います。
本日は、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

お訪ねした当初、老舗らしい建物と近代的な醸造場のコントラストに戸惑った主人でしたが、こうして清水さんにお話を伺った今、清水醸造さんの建物にも経営理念が表れていることがよくわかりました。
老舗であっても、そこに留まらずに常にチャレンジしていく。競争力の源はしっかりと押さえながら、合理的に判断、投資をしていく。あの建物の姿は、無言でそのことを語っていたのですね。

さて、清水醸造さんの醸す『鈴鹿川』シリーズが、いよいよ近日e-伊勢屋に登場いたします。
スウィートな吟醸香とフルーティーで厚みのあるボディを持つ、日本酒です。
日本酒好きな方も、ワイン好きな方にも、というよりは全ての酒類愛好家に薦めです。ぜひ、ご賞味ください。

e-伊勢屋参加記念イベントも予定していますので、こちらもどうぞお楽しみに!

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2006年6月27日 (火)

農業製品としての酒 ~ 清水醸造(株)訪問記 - その参

伊勢屋主人です。

今日は、鈴鹿の清水醸造さんの杜氏 内山智広さんに、お話を伺います。

内山さんは、30代前半の若々しい杜氏さんです。杜氏さんって、気難しそうな方というイメージを持っている主人にとって、内山さんはとても気さくで話を伺いやすい方でした(*^-^*)
でも、若い方で杜氏を目指すって、珍しい例ではないでしょうか。いきなりで失礼ですが、そんなお話からスタートしました。

「学校でバイオテクノロジーの勉強をしたのですが、その時の先生に日本酒は面白いぞ、と言われまして。その言葉が記憶に残っていて、この道に入ったのですが、社長にはまだまだ勉強途上なんだから、いろいろとチャレンジしろ! とハッパをかけられています(笑)」

日本酒作りの、どういう点が面白いんでしょう?

「もうかなりの回数仕込みを経験したのですが、ひとつとして同じ酒が出来ない、というところです」

え? では、毎回仕込みのたびに、味が変わるということですか?

「もちろん、毎回毎回まったく違った酒になる、という意味ではありません。
経験上、この米を使って、この系統の麹と酵母でこれくらいの温度で作っていけば、こんな感じの味になる、というのはわかっています。
でも、最後の最後のところで、酒の味は微妙に変わるんです。出来上がった酒を味見して、ああ、こうすればよかったのかな、次はこうしてみようかなって、工夫を考えなければならない部分が必ずあるんです。どこまでいっても、工夫の余地がある、というのが仕事としての面白みですね」

もう少し、詳しく教えていただけますか? まだ、正直イメージがつかめていません(^^;

「ご存知と思いますが、日本酒ができるまでには、2つの過程があります。
一つ目は、お米の澱粉が麹菌より分解され、ブドウ糖が作られる過程、これを糖化と呼んでいます。
二つ目はこのブドウ糖を酵母が食べる過程で、これが醗酵です。酵母がブドウ糖を食べるときに、アルコールと二酸化炭素が生成して、酒になっていくんです。
私の仕事は、糖化と醗酵がうまくいくように環境を整えることなんです。人間は、環境を整えることはできるのですが、その環境の中でどのように糖化と醗酵が進むかはコントロールは出来ないんです」

では、日本酒の味は、麹菌と酵母の働きに委ねられるわけですね。

「最終的な味の決定は、そうです。言ってみれば、酵母の気分次第なんです(笑)。
同じ系統の酵母を使ったとしても、その酵母の気分が違うのですから、同じ味の酒にはならない。面白いし、厄介だし、楽しいですね
だからこそ、環境を整えることには、いちばん気を遣いますし、こだわる部分です。中でもいちばん大事なのは、麹つくりの部分です。
酒米に水を含ませる程度や蒸し具合、麹菌を酒米にふりかけた後の米内部への菌糸の浸透具合、これは全部手で触りながら判断しています。手の感覚やにおい、目で見ての確認などで判断していくしかないんです」

杜氏としては、麹菌や酵母を思いのままにコントロールしたい、という思いにはなりませんか?

「私たちは、工業製品を作っているのではないですから。
工業製品でしたら、すべて規格に合わせて作らなければいけないのでしょうが、日本酒って農業製品なんだと思っています。
どんなにきっちり環境を整えたつもりでも、最後は酵母の気分ってことは、その年の日照や雨の降る量に出来が左右される農業に近いなあ、と。
それと、それぞれの仕込みに注いだ努力が、素直に出来に反映されるのも農業っぽいし、楽しみの部分です。そして、酵母の気分によってできた尖がった部分がウチの会社の酒の特徴ですし、それがウチの酒の魅力なんです。
大手の日本酒メーカーさんは、不特定多数のお客さんの好みを満足させるために、尖がったところのない、誰にでも受け入れられる一定の品質のお酒を作られますが、これは工業製品ですよね」

なるほど、そういう意味で常に工夫を考える部分が存在しているのですね。興味深いお話です。

「毎日、毎年がチャレンジの連続です。そして、自分たちがうまいと思う酒を、自己主張して作っているのですから、楽しいです。
で、それを飲んでくださったお客さんがうまいね!って言ってくれた時は、いちばん嬉しいですよ(笑)」

う~ん、納得!

「でも、仕込んだタンクは、全部うまい酒になって欲しいです、正直。こちらが思うような酒になってくれ、と神様にお祈りする気分ですわ」

そういえば、タンクの温度管理の機械なのでしょうか、制御盤の上に、恵比寿さんと大黒さんが鎮座されていました(^^)

素人の主人にも、酒造りの奥深さと楽しさ、杜氏の喜びが少しはわかったような気になりました。
内山さん、お忙しい中いろいろとご説明いただき、ありがとうございました。

Ebisudaikoku

次回は、もう一度 清水社長にお話を伺います。お楽しみに!

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味酒国鈴鹿 ~ 清水醸造(株)訪問記 - その弐

伊勢屋主人です。

前回に引き続き、鈴鹿の清水醸造さんにおじゃましております。まずは、代表取締役の清水慎一郎さんにお目にかかりました。

開口一番、清水さんは「うまさけ、という言葉をご存知ですか?」とおっしゃいます。
「うまさけ?」、とひるむ主人であります(汗) 当然、うまいさけなどという意味ではありませんよね。

「うまさけとは、味酒と書くのですが、良い酒 うまい酒という意味もありますが、酒の産地として有名なことから鈴鹿にかかる枕詞なのです。
このように、かつての鈴鹿は酒の一大生産地だったのです」

ほほう、初めて聞きました。枕詞ですか、まったく知りませんでした。
でも、いま鈴鹿で日本酒を造られていらっしゃるのは、清水醸造さんのみなんですね。

「ええ、残念なことです。
今は、杜氏は越後杜氏などと言って、東北出身の方が多いように思うでしょう。
これもかつての話なんですが、三重出身のひとが江戸時代に秋田佐竹藩に醸造技術を伝えたりしているんですよ。江戸時代には、伊勢杜氏が活躍していたらしいのですね」

へえ~、そうなのですか。では、当時の伊勢の国は醸造については先進地域だったのですね。意外だったなあ。
でも、いまは伊勢杜氏という言葉は聞かないですよね。

「いや、実は当社は伊勢杜氏の伝統を復活させています(笑)。当社の杜氏は、地元 鈴鹿生まれなのです。年も若く30代前半なのですが、いろいろと試行錯誤しながらがんばってくれています」

なるほど、御社の杜氏さんにも、ぜひお話を伺いたいです。
その前に、外から拝見した印象なのですが、とても近代的な外観ですね。工場的と言えると思うのですが、いかがでしょうか。

「当社の場合、一度に大量の仕込みを行うということはありません。小さいタンクで、発酵具合を見ながら、じっくりと取り組んでいます。
うまい酒を造るために必要なところには、人手をしっかりと入れています。例えば、麹作りなどは、どうしても人の手が入らないとうまくいきません。
ただし、人手は有限ですので、人手でなくてもこなせる部分は積極的に機械を導入しています。これは、機械化しても味や品質に影響のでない部分においてです。結果として、工場の方は、このような外観になっているのです。
ですが、あとでご覧いただければご理解いただけると思いますが、現場はひとの手が入った作業が多いんですよ」

なるほど、わかりました。杜氏の説明や現場を拝見すると、さらに理解が進むでしょうね。

次回は、杜氏の内山智広さんに、お酒造りの現場のお話を伺いましょう。

Sugitama

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2006年6月26日 (月)

鈴鹿市内唯一の蔵元 ~ 清水醸造(株)訪問記 - その壱

伊勢屋主人です。

突然ですが、三重県に地酒の蔵がどれくらいあるか、ご存知でしょうか。たぶん、ご存知ありませんよね(笑)
実は、三重県酒造組合に登録されている酒蔵は、現在51です。この数が多いかどうか、他県と比較してみましょう。
主人のイメージで、醸造元が多そうな石川県、山梨県、長野県、新潟県の各酒造組合への参加蔵元数で比較してみましょう。ええ、独断と偏見に基づく比較です(^^)

石川県:28、山梨県」18、長野県:93、新潟県:98 となっています。
新潟はもともと米どころですし、越後杜氏という単語があるとおり酒造りの盛んなところです。長野も、蔵元が多いのは、納得です。
石川県と山梨県が、案外少ないのですね。石川県は米どころですし、有名な銘柄の蔵元もあります。山梨県も、八ヶ岳の麓で冬の冷え込みが厳しい地域なので、酒造りが盛んのように思っていました。ですので、どちらの県もこの蔵元数はちょっとした驚きでした。
そういう知識を持った上で、三重県の蔵元数を見ると、この温暖な地にしては蔵元が多いと思いませんか?

さて先日、その三重県内の蔵元のひとつである、鈴鹿の清水醸造株式会社を訪問してきました。
清水醸造さんは、鈴鹿市内で唯一の蔵元です。明治2年の創業以来140年近く続いていらっしゃいますから、老舗の蔵元さんですね。
鈴鹿市は、海に面した地域から鈴鹿山脈までとバラエティに富んだ地理なのですが、蔵元の所在地は山に近い地域だと思っていた主人なのですが、若松という海の近くの場所なのです。これは、ちょっと意外でした。
なんとなく、地酒の蔵元は寒いところにある、という固定観念が主人の頭の中にあるのです。海のそばはどうなのでしょう。まあ、鈴鹿は冬はかなり雪も降りますので冷え込む地域ではありますが(^^;

Shimizuentrance

もう一つの意外、それはこの清水醸造さんの門構えでした。
向かって右は事務所、左が醸造場なのですが、事務所のいかにも老舗らしい建物に対して、醸造場の近代的な雰囲気が極めて対照的です。
これも主人の固定観念ですが、地酒の蔵元って太い梁の何百年という古い建物の中で、ひっそりとお酒を醸している、というイメージが頭の中にどっしりと居座っているのです。
みなさんは、いかがですか。

主人にとって、ちょっと不思議な外観のこの蔵元では、どのような酒造りが行われているのでしょうか?
次回以降、お伝えしていまいりますので、どうぞお楽しみに!

【清水醸造株式会社】
三重県鈴鹿市若松東3-9-33
ホームページ : http://suzukagawa.com/

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2006年6月20日 (火)

伊勢神宮内宮前 おかげ横丁 『夏まちまつり』

伊勢屋主人です。
三重県は、昨日より蒸し暑くなっております。今日なぞは、30度を越したのではないでしょうか。
気分は、まったく夏です。
明日は夏至ですので、季節的には暑くなってもおかしくはないのですが、もうちょっと待ってよォ! と言いたくなってしまいます。ええ、主人は暑いのが苦手なのです(^^;

そんな季節柄、あちこちで夏の行事が行われています。
先週の17日より伊勢神宮内宮前のおかげ横丁でも、 ”なつまでまつな” というキャッチのもとに『夏まちまつり』というイベントが行われていたので、お祭好きな主人はさっそく行ってきました(ニコ)

おかげ横丁は、赤福餅で有名な(株)赤福が江戸から明治にかけての伊勢の姿を再現した町で、風情のある赤福本店と向かい合わせの位置にあります。
いまでは伊勢の観光名所としてすっかり定着し、一年中いつ訪れても人通りが絶えることがありません。
この集客力は、企画の勝利ですね。すばらしいこと、と思います。

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おかげ横丁の入り口には、いつものぼりが立っていて、それだけでもお祭気分なのですが、この日は太鼓やらお囃子が風に乗って聞こえてきて、いやがうえにも気分を盛り上げてくれます。
この日のために、露天の屋台も30軒くらい集まったそうで、めだか売りや飴細工屋、似顔絵描き、はては鰻の串焼き+生ビールというものまで、陽気に商いをしておりました。

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屋台も夏らしい気分でいいのですが、例えば風鈴売りなどの流しがあると、もっといい感じかなあ。
風鈴を差した天びんをかついで、横丁内を行商してくれたら、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分が味わえそうです。まあ、お客さんで混んでいるときは、じゃまにされそうですが。。。

この日のもう一つの呼び物は、「大道芸」の大集合です。おかげ横丁のみならず、周囲一体に大道芸人が出て、技と芸を見せてくれる、という大変面白い企画なのです。
主人は、「ガマの油売り」を楽しみにしていたのですが、タイミングが合わなかったのか、探し当てることができませんでした。。。

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ぶらぶらとおかげ横丁の入り口に向かうと、そこでは女剣劇が始まるところ!
お定まりの、手下を連れたチンピラが道行く女性にからんで、逆にこてんぱんにやられてしまう、という筋書き(笑) 手前の、金ピカの「マツケンサンバ」風羽織を着ているのが、悪役さんです。
このお三人は、女剣劇というのですから女性なのでしょうが、達者なセリフやチャンバラの立ち回りが絶妙! まわりの見物人は、軽妙なかけ合いに爆笑の連続でした。

中でも、この金ピカ悪党が「オレは、この伊勢界隈じゃあちっとは名の知れた、赤福五郎だぁ!」と名乗ったのには、大爆笑! 
ヲイヲイ、赤福さんのお店の前で、そんなこと言っていいんかい ( ^∇^)

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ご覧のように、おかげ横丁のあちこちには、いかにも夏らしいしつらいも用意され、いい雰囲気です。
このような季節感を大切にしたイベント、日本人の感性から季節が失われつつあるいま、貴重な存在と思います。
どうか、今後も続けていって欲しいものですね。

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2006年6月18日 (日)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その七

伊勢屋主人です。

今回は、このお木曳き行事の中で出会った、ちょっといい表情をご紹介します。
まずは、宮川堤上で出会った、木遣連の青年です。
堤上でご用材を招く木遣を唄っていました。
いい場所で唄っている人は、やはり上手な人なのでしょうか。この人も、良い声でした。
金地に日の丸の扇子が、またいなせな感じ!

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お木曳きには、ほんとうにいろいろな人たちが参加していました。
子供たちも、それぞれの持ち場で、がんばっている姿を多く見かけました。
この男の子は、ご用材を載せた木橇を曳くときの景気付けのほら貝を、元気良く吹いていました。
ほら貝って、吹くのが難しいのではないでしょうか? すごいなあ、と感心した主人でした。

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ほっぺたがぱんぱんに張っていて、がんばっている様子がよくわかるでしょう。
ねじり鉢巻と、首から下げたお守りが、また粋ですね(笑)。

こちらは、お木曳きに参加していたお嬢さん。見るから楽しそうに、行事に参加していました。
でも、ちょっと手に力が入っていないかな(^^)

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この女性の方は、お木曳車の前でさっそうと木遣を唄っていました。
いや、なんともかっこいい! びしっと、決まっていますね。
ちょっと、ベルバラっぽいかな? (ベルバラ、って今でも通じるのかな・・・)

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お木曳車が通る沿道で見かけた、子供たちです。
男の子 「木遣の振り付け、わからないよぉ」
女の子 「こうよぉ、ほらぁ!やってみせるから、見てて」
男の子 「よけいわからなくなっちゃったよぉ・・・」 (笑)

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「みんな、かっこいいなあ。あたしも、次のお木曳きには木遣を唄うんだからね!」

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いろいろな表情に会えて、本当に楽しむことができました。
みなさん、ありがとう!

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2006年6月16日 (金)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その六

伊勢屋主人です。

更新が一日空いてしまいました。お待たせして、申し訳ありませんでした。
え、待っていた方はいない? そうですかぁ?? (絶句。。。)

っと、冗談はこれくらいにして。本日は、お木曳き行事の六回目。
いわゆる「お木曳き」、すなわちご用材がお木曳車に乗せられて、街中を練り歩く様子をお届けします。

お木曳き行事は、伊勢市内の各町単位で行われますが、中にはいくつかの町が合同で行うお木曳きもあります。
今回、主人が拝見した豊栄会のお木曳きも、四つの町が合同で実施したものです。

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主人が到着したときは、ちょうど休憩が終る直前でした。子供木遣連も、スタンバイ準備に入っています。
この画像ですと、ちょっと疲れているかなって雰囲気がありますね。
でも、この日のために一生懸命練習をしていたのです。
晴れの舞台、がんばれ~! と心の中で応援する主人です(^^)

Hiki1

でも、そんな主人の心配は、取り越し苦労でした。
うん、やっぱり練習を積んだだけのことはあります。立派に、木遣唄を披露してくれました。
この子たちは、大体10歳前後でしょうか。次のご遷宮の時は30代前後で、一連の行事を背負う年代です。
今回のこの経験は、次に自分たちがリーダーシップを取るときのいい経験になるでしょう。

Hiki2

さて、子供の木遣唄が終ると、いよいよお木曳きの再開です。みなさん、お木曳車を曳く綱を持って、準備をします。
ここでも、木遣連は景気づけをする、盛り上げの中心的存在です。

Hiki3

その盛り上げの主役の木遣連の中でも、どうやらこの方が中心でしょうか。常に木遣唄を、リードして唄ってくれていました。
当然ですが、至極美声! いっとき聞き惚れてしまいました(笑)
でも、木遣唄って難しいでしょうね。主人には、とてもじゃないですがあんな声は出せません。
やはり、修練の賜物なのでしょうか?

Hiki4

そして、いよいよ登場! これが、お木曳車です。
大きいですよねえ。地上からの高さは、おおよそ7mくらいでしょうか。
ご用材には、注連縄(しめなわ)が張られ、提灯や榊の木などで飾り付けられています。
ここまで飾るのには、やっぱり数時間が必要でしょうね。
あと、お木曳車が動くと「ウォ~ン、ウヮ~ン」という太く大きな音がします。
この音は、「椀鳴り(わんなり)」と呼ばれる音で、お木曳車の車輪が動くとこのような音が出るように細工されています。この椀鳴りの音色の良さや音の大きさも、各町内での競争になっているのだそうです。

Hiki5

このお木曳車の一番上に乗っている方は、どういう役割の方なのでしょう?
お代官様のような、雰囲気がありますね。
ここに乗って、下を見下ろしていると、お木曳きを指図しているような気持ちになるんじゃないかなぁ。
気持ち良さそう(笑)

こうして、賑やかな中にも荘重な雰囲気を漂わせて、お木曳きは進行していくのでありました。
この光景も、この次見ることができるのは20年後なんですね。
そう思うと貴重な体験をしたと思いますし、この行事が60回以上も続いているのも、気が遠くなるような重たい伝統なのだなぁ、としみじみ思った主人でした。

次回は、今回のお木曳きの中で見かけた、いい感じの画像をピックアップして、お届けします。
お楽しみに!

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2006年6月14日 (水)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その伍

伊勢屋主人です。

今回は、「どんでん」の最後を飾る、ご用材を宮川堤下まで滑り落とすところです。
前回の最後の画像では、木橇を上下に揺する最後の場面をお伝えしました。
このあとすぐに、「いくぞぉ!」という声がかかり、橇に乗っていた若衆がさぁっと飛び降りました。
(下手に乗っかっていたら、振り落とされるか、橇の下敷きになって大怪我ですね。。。)

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さあ、いよいよ橇が堤の斜面を下り始めました。当然まだゆっくりとした速度ですが、曳き手の方々の緊張はびんびんと伝わってきます。
この段階で、きちんと滑り降りる方向を決めておかないと、大事故になりかねないですから。
しかも、毎年行っている行事ではなく、20年ぶりなので、慎重にも慎重を期さないと大変なことになります。

Otoshi2

この時は、主人の前 1.5mくらいのところを下っていきました。
もうこの頃には、曳き手の方々が掛け合う声も、橇が下るにつれて大きくなる橇と地面がこすれあう音や木橇のきしみ音にかき消されています。
橇の後ろを見てください。橇が押し分けた土が盛り上がりながら、軌跡になっています。

Otoshi3
Otoshi4

主人の目の前を、木橇はあっという間に過ぎ去り、すごい振動と音を残していきました。
振り返ると、すでに行程の2/3は滑り下りた状態です。
上の画像は、この「どんでん」のために仮設されたスロープ上を橇が滑っていくところです。このスロープには、万一木橇が横にそれたとしてもまっすぐ民家に突っ込まないように、ガードが施してあります。

Otoshi5

はい、木橇は無事下の道路に下りました。
アスファルト面に橇が乗ったとたん、「ドーン」というすごい振動が響くとともに、土煙がまだ滑り続けている木橇を追ってまきたちます。
でも、道路に下りたから、といって気は抜けません。この時点でも、当然ながらものすごいスピードで橇は動いているので、ここから方向が横にそれたら、沿道の見物人をなぎ倒していくことになってしまいます。

Otoshi6

突然、主人の後ろから「右に引けー!」という鋭い声が上がりました。
「左にそれるぞ、引けー!」
確かに木橇は、その頭を左に向けています!
見ている皆が、ハッとした瞬間でした。
しかし、このあと少しずつ橇のスピードは落ち始め、やや左に向いたもののなんとか無事に止まりました。よかったぁ~(^^)
「ちょっとそれたなあ」「まあ、いいだろう」「まあまあだなあ」、安堵の声が周囲から沸きあがりました。
こうして、緊張の「どんでん」は無事に終了したのでした。

Otoshi7

「どんでん」を終えたご用材は、このようにお木曳車に乗せられ、伊勢神宮までの練り歩きの準備を施されます。この作業だけでも、たっぷり3~4時間かかっていたようです。スローな時間が流れていきます。
なぜそんなに時間がかかるのかは、次回わかっていただけると思います。

次回は、ご用材を乗せたお木曳車が伊勢の街中を練り歩く、「お木曳き」の本番の様子をお伝えします。

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2006年6月11日 (日)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その参

伊勢屋主人です。
今回は、お木曳き行事の三回目です。

宮川より引き上げられたご用材は、いよいよ宮川堤に引き上げられます。
この度会橋付近の宮川は、川幅も広く水辺から堤防までは300mくらいはあるのではないでしょうか。
川原から一段土手を上がり、さらに河川敷を横切ってから堤防の上まで一気に引き上げます。

Pullup1

最初の土手を上がり、ご用材が見えてきました。ひとびとの奥に見えるのが、ご用材です。
まだまだみなさん、元気いっぱいの様子ですね(^^)

Pullup2

そして、一気に堤防を上ります。後ろから見ると、こんな状況です。
けっこう急な斜面なんですよ、ここは。
重たいご用材を上げるのも大変ですし、万一木橇が暴走したりしたら、ホント危ないですね。
さて、堤の上では、曳き上げられてきたご用材を、木遣連が日の丸の扇で招いています。
この木遣唄が、声の張りといい、調子といい、良い感じなのです。

Pullup4

やっと堤防の上に到着しました。
木遣連がご用材を両脇で迎えする中、木橇とご用材の固縛の状態を慎重に確認しています。
「どんでん」を行っている最中に綱が緩んだりしたら、怪我人が出るは、周囲の家屋に被害が出るは、と大騒ぎになることは間違いがないですから。
画面右を見てください。小さいですが、土手の下にある家屋が見えます。堤防上と下の落差は、7~8mというところでしょうか。

さあ、次回はいよいよ、「どんでん」の開始です!

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2006年6月10日 (土)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その弐

伊勢屋主人です。

お木曳き行事の二回目ですね。
さて、前回では宮川にご用材が浸けられたところでしたね。

このお木曳きの行列ですが、前で曳くひと、後ろに列なるひとといて、その長さは100m以上あるでしょうか。
全部で何人なのか、数えようもありません。で、その方々がみ~んな川に入っていきます。
先頭はというと、なんと対岸まで渡ってしまいました。案外、宮川のこのあたりは、水が浅いんですね。水深40cm程度でしょうか。

Watari

こちら岸では、声がはっきりとは聞こえないのですが、木遣連の方々が何か掛け声をかけている様子です。
と、その声を合図に、引き綱を上下に大きく揺らし始めたのです。
実は、この所作はこのあとの「どんでん」の場面でも、またお木曳車を曳く際にも見られたので、意味のある所作なのでしょう。残念ながら、主人にはその意味がわかりませんが。
このようなことも、神領民である伊勢のひとびとには、説明もいらないことなのでしょうね。伝統とは、力強いものです。
それにしても、川で飛沫を上げている方たちの、うれしそうな表情といったら! このお木曳きを心から楽しんでいる様子が、伝わってきます。

Shibuki

木遣連は、盛り上げる一方ですし、綱はいよいよ高く舞い、飛沫はさらに激しくなります。画像にはありませんが、木遣連は綱の間を走り回り、どんどん盛り上げていったのです。
この「飛沫上げ」はまだまだ続いたのですが、それが終ったあとは、また宮川の中を蛇行しながらご用材を曳き回していきました。

Hikibito

ようやくご用材も川岸に向かってきました。こちらは、先頭で曳かれている方々ですね。
ほら、みなさん半被までびしょ濡れ! でも、表情にご注目。みなさん、いい笑顔! 
お祭だし、暖かかったし、水遊びをしたようなものですから、ちょっぴり童心に戻られたのではないでしょうか。

Sorijyoriku

ご用材が、やっと岸に戻ってきました。正面の日の丸が、かっこいいです(笑)。
この後、ご用材は堤防まで曳き上げられ、その頂上でクライマックスの「どんでん」を迎えるのです。
当然ながら、会場の興奮はいやがおうにも上昇していくのでありました。

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2006年6月 9日 (金)

伊勢神宮式年遷宮 お木曳き行事 - その壱

伊勢屋主人です。
このところ、ちょっと更新の間が空いてしまいました。あいかわらず、バタバタ状態の主人です(汗)。

さて、伊勢神宮の式年遷宮行事のひとつ、お木曳きの様子をお伝えすると申し上げて、これも延び延びになっておりました。重ね重ね申し訳ありません m(_ _)m
でも、かなりの長編になることがわかっていたので、ある程度時間をかけないと、と思っておりました。
主人としては、ちょっと本腰を入れてお伝えしていきます(^^)

主人が拝見したのは、6月3日の様子です。宮川から伊勢神宮外宮前までの陸路を、ご用材(正式には、御料木といいます)を曳いていく陸曳き(おかびき)と呼ばれるものでした。

では、そもそもお木曳きとは、どのような行事なのでしょうか。
伊勢神宮が二十年に一度、全ての社殿を建て替えるということは、広く知られていると思います。これを、式年遷宮といいます。今回の式年遷宮は、第62回ということですから、1,240年続いていることになります。
お木曳きとは、簡単に言えば神宮の新しい社殿の柱に使われるご用材を、神宮に運び入れる行事です。神宮は外宮と内宮とがありますが、外宮へは陸路を曳いていく「陸曳き」、内宮へは内宮前を流れる五十鈴川中を曳いていく「川曳き」を行い、運び入れていきます。
陸曳きでは、宮川の堤防を乗り越える際の「どんでん」と呼ばれる勇ましい作業と、奉曳車による練り歩きが有名です。

主人が、今回の会場である宮川の度会橋に到着したのは、朝の8時半でした。好天に恵まれ、このような晴れの行事にふさわしい一日でした。
すでに、河川敷には多数の行事に参加される方や報道陣で、ごったがえしておりました。ほんと、すごい人数ですね。こちらは、宮後(みやじり)町の奉曳団の方々です。
そうこうするうちに、この集団が動き出しました。まず、木橇(そり)に乗せたご用材を、宮川の中に浸けるのです。

Kawairi

これは主人の勝手な解釈ですが、その昔はこれらのご用材は水運で運ばれてきたのでしょうから、伊勢の地にはこの宮川から上げられたのでしょうね。その姿を、再現しているのではないか、と思います。
この日は汗ばむほどの陽気で川に入るのも気持ちがよかったでしょうが、最初のお木曳きは四月の上旬でしたから、川の中に入るのはよほどの度胸が要ったでしょうね(ブルブルッ)。

Sori

こちらが、ご用材です。正確にはわかりませんが、10m前後はあるのではないでしょうか。
おそらく、木曾から切り出されたヒノキでしょう。
いまでは、こんな太いヒノキはなかなかありません。あっても、すごい値段になるでしょうね(^^;
このご用材を載せている木橇は、川原を曳かれて宮川に入り、その後堤防に上り「どんでん」を行い、堤防下に滑り下ろされます。思えば、過酷な運命にある橇ですね(笑)。

Kiyari

この木橇を曳く行列を送るのが、木遣唄です。
木遣唄も、それぞれの町で違うのだそうで、節回しもなかなか味のあるものでした。
ただ、主人は撮影に忙しく、あっちこっちに飛び回っていましたので、ちゃんと唄詞を聞いておりません。むう~、残念!
主人は、木遣に詳しいわけではないのですが、ここ伊勢の木遣が変わっているなあと思うのは、唄い人が持っているものです。
神社で神主さんがお祓いするときに、左右にさっさっと振る道具(正式にはなんというのでしょう?)に良く似たものを、持っているのです。で、これを唄に合わせて振るのです。
このあたりにも、「神都 伊勢」らしさを感じさせてくれます。

Kawanaka

宮川の中に入った、ご用材です。正面には、日の丸の旗が交差して取り付けられています。
この画像ですと、なにやらおとなしく川の中を曳いているだけのように見えるでしょう。
でも、これで終りではないのです。このあと、伊勢びとのパワーが、どんどん炸裂していくのでした。
ふだんは穏やかな伊勢のひとびとが、こんなになるとは、と少し驚いた主人でした。

さて、その変貌とは!?  それは、次回ご紹介しましょう。
どうぞ、お楽しみに!

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2006年6月 6日 (火)

斎宮のハナショウブ

伊勢屋主人です。

先日の「斎王まつり」のあと、まつりの会場から少し足を伸ばして、「斎宮のハナショウブ群落」を見てきました。

この時期、ハナショウブはすでに花が盛りを過ぎていますが、ここのハナショウブはこれから咲き始めるところで、まだぽつぽつとしか咲いていません。
それと、見慣れたハナショウブよりも、花の紫色が濃いように思います。

実は、このハナショウブは、正確には「ノハナショウブ」という品種で、現在栽培されているハナショウブの原種にあたるものです。ですので、花が咲く時期や色味も違うのでしょうね。

ノハナショウブは高原などの湖沼に群生することが多く、ここのように平野に群生している例は珍しいとのことで、昭和11年に国の天然記念物に指定されています。

地元では「どんど花」と呼ばれてるこのハナショウブ、古代にはこのあたり一面に群生していたことが確認されています。かつての斎王も、この花を愛でたことでしょう。そう思うと、この花も王朝ロマンにつながるものがありますね。

ここの群生地の特徴として、ノカンゾウ(ニッコウキスゲ)などと混生している点も、天然記念物に指定された理由になっている、ということなので、少し日をおいて、もう一度この紫の花が真っ盛りの様子を撮影に行こう、と主人は考えています。
そのときは、おそらくこの紫の花と目に鮮やかな黄色の花の共演が見られることでしょう。

その様子も、またお伝えしますね。お楽しみに。

Syohbu

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2006年6月 5日 (月)

斎王まつり

伊勢屋主人です。

この土日は、三重県は晴天に恵まれました。
この青空の下、あちこちで様々な行事が行われたようです。
主人も、土曜日は伊勢神宮の式年遷宮行事「お木曳き」に、日曜日は明和町で行われた「斎王まつり」に、と取材で忙しい週末になりました(^^;
お木曳きはかなりボリュームもあるので、次回以降とし、先に斎王まつりの様子をご紹介します。

そもそも「斎王ってなに?」という方がほとんどだと思いますので、ご説明しますね。
斎王とは、飛鳥・奈良時代から約660年、鎌倉時代の頃まで続いた制度で、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神に仕える役目を行う女性のことです。
斎王には、天皇の娘や姉妹などの中から未婚の女性から選ばれ、現在の三重県多気郡明和町斎宮にあった、斎宮で暮らしておられました。
この斎宮が置かれていたため、明和町では今でもちょっと工事などで地面を掘ると、あちこちで遺跡が発掘されます。つい最近も、奈良時代の道路跡が発見された、という記事がありました。

斎王の主な役目は、年に3回 10月の神嘗祭と6月と12月の月次祭の時に伊勢神宮にお詣りする、ということで、3泊4日をかけて伊勢へ出向き、天照大神に大玉串を捧げるという祭祀を執り行ったとされています。
それ以外の日々は、斎宮で貝合わせや歌詠み、船遊びなどをしながら朝廷の権威を示し優雅な生活を送っていただろうということで、なんとみやびなことでしょう。
明和町から伊勢市までなら、今ではクルマで30分弱で行ける距離ですから、それを3泊4日なんて、優雅すぎます! 徒歩で行かれたのですから、時間はかかるでしょうけど、それにしても3泊4日とは。。。

Saio1

この「斎王まつり」は、1983年に地元の婦人会有志の方々が、はるか昔に明和町で日々をおくられた斎王をお祀りしようということで始められた行事です。
そのハイライトは、京都から伊勢まで、斎王がお供とともに旅を行う様子を再現した「斎王群行」のパレードです。

ほら、参加のみなさんは、平安時代の頃のような装束に身を包み、歩いていらっしゃいます。
当日は、汗ばむくらいの陽気でしたので、パレードされる方も大変だったでしょうね。
中には、つい額の汗に手をやって、あやうく烏帽子を落としそうになる方も。。。
いやいや、ご苦労さまでした。

Saio2

今年の斎王役を務められたのは、稲葉友佳子さん(中央の白い十二単衣の方です)。
どれくらいの倍率を突破されて、斎王役を掴まれたのでしょうか? 
そのあたりは主人にはわかりませんが、稲葉さんは、素顔は荒川静香選手に似た雰囲気の方です。
当日の配役の方々につきましては、斎王まつり実行委員会のホームページをご覧ください。

http://saioh.sub.jp/izen/24/information/haiyaku.html

当日のパレード参加者は、斎王まつり実行委員会のホームページによりますと総勢で52名だそうで、これだけの方々が平安時代の衣装で登場されると、ちょっとタイムスリップしたような感覚になりますね。

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2006年6月 3日 (土)

棚田を守る決意

伊勢屋主人です。
前回に引き続き、丸山千枚田についてお伝えします。

丸山千枚田の高低差は100mもあり、ご覧のような小さい田んぼが、地形そのままの形で作られています。こうして見ると、等高線のようですね。
景観としては美しいですが、この棚田をここまで開いた労力や、いまこれを維持している努力は並大抵ではないことが、ここに立てば実感できます。
かつては2,200枚余りの田んぼがあったそうですが、現在は1,340枚の田んぼが維持されています。

Maruyama2

実はこの棚田も、一時期は過疎や離農で荒廃していた時期がありました。
平成5年には、休耕田などの増加により520枚まで、田んぼの枚数が減ったそうです。

この年、当時の紀和町(現在は熊野市と合併)と同町の有志の方々が「もう一枚も棚田を減らさない」との決意で、「丸山千枚田保存会」を発足させて棚田の保存・復元活動を開始しました。
さらに、翌年には棚田保護を目的とした「丸山千枚田条例」を制定して、(財)紀和町ふるさと公社とともに今に至るまでこの農村風景を守る活動を行っておられます。
棚田保存活動の一環に、「オーナー制度」と「守る会」があります。
「オーナー」は実際に田植えや刈り取りなどの農作業を行う方、「守る会」はこの景観の維持に協力する方を、一年毎に募集されています。
「オーナー」はすでに本年の募集は終了しているようですが、興味をお持ちの方はふるさと公社にお問合せしてみてください。

Maruyama3

千枚田の中央には、麓まで続く舗装路があります。その舗装路の途中には、一休みして棚田を眺めることのできる休憩所もあります。
熊野古道を歩いて、ここを訪れる方も多いようですが、大半は自家用車でしょう。そういったお客様をお迎えするために、このような道路は必要でしょうね。

そして、麓にはオートキャンプ場もあります。
棚田とオートキャンプ場とは、違和感を感じられる方もいらっしゃるでしょう。しかし、地域外からオーナーをこの山間地に迎え、ここで楽しんで農作業していただくためにはこういう施設も必要なのではないでしょうか。
現実を見つめながら、理想の形とうまく調和を図り、この棚田の景観を守っていく。
このオートキャンプ場は、この棚田を守っていこうとする、地域の方々の強い決意の表れのように、主人には見えます。

地域を守っていくためには、その中核にその地域の方々の「守っていこう」という強い決意が不可欠です。
そして、その決意を核にして、地域外とうまく連携しながらそのムーブメントを育てていく努力も必要です。
丸山千枚田のケースは、地域を継続的に守っていこうとするひとつのモデルケースだと、主人は思います。

【財団法人 紀和町ふるさと公社】
三重県熊野市紀和町丸山255の6 
でんわ : 05979-7-0640

ホームページアドレス : http://www.za.ztv.ne.jp/furusato/

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2006年6月 1日 (木)

熊野 丸山千枚田

伊勢屋主人です。

今週は、三重県内を走り回っている主人です。ほんとうに、東西南北にと駆けずり回っている感じで、いやあ忙しい(汗)。

そんな外出続きですが、今週はずっと晴天続きで、気持ちが良いので助かります。天気だけで、仕事の気分もノリも違ってくる、単純な主人です(^^;
でも、この週末はまた雨なんですって。いろいろとやらなければならない、家の仕事もあるんですけど、そっちが滞りっぱなしなので、まずいなぁ。

さて、熊野市まで仕事で出かけた折、ふと主人の頭に浮かんだのが「丸山千枚田」です。山の斜面を切り開いて、棚田になっているのだそうですが、とても綺麗な景観なのだとか。
ここまで来ているのだから、寄っていこうということで、仕事が終った午後にちょっと足を伸ばしてみることにしました。
もちろん、これは仕事です! 三重県の風物をお知らせする、「電網伊勢屋 主人日記」のネタ集めなんですから! アリバイありです(笑)

三重県民歴が浅い主人ですので、有名な丸山千枚田もどこにあるかわからず、道路地図を眺めることしばし。「そんなに遠くないのね」と思ったのが、甘かった(-_-)

距離はそんなに遠くはないのですが、山の斜面を切り開いて作られた棚田ですから、当然山の中なんですね。そこに至るまで、かなりの山道で、途中からはすれ違いも徐行が必要なほど。
気持ちとしては、「かなり走ったなあ」と思った頃に、こんな眺めが!

Maruyama1_2

むむ、さすがにすごいですねぇ。
本当に、山に沿って上へ上へと、棚田が作られています。
この日は、ちょっと薄曇のせいもあったのでしょうが、主人には日本というよりは中国の風景のようなイメージに映りました。
遠くの山がかすんでいるのも、そんなイメージを強くしていたのかもしれません。
しかし、ひとのたゆまぬ努力ってすごいですね。そんなことを感じさせるパワーを、この千枚田は持っていました。

次回は、この千枚田に降りていってみましょう。

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